辞められない日記

 中学生のとき、剣道部に入っていた。球技が苦手だという消極的な理由で選んだ部活動。同級生の部員ははじめ三人しかおらず、そのうちの一人もすぐに練習に来なくなりやがて「ラグビー部に入る」と言って辞めた。ひとつ上の学年にはたくさんの部員がいたのでしばらくはたのしくやっていたが、彼らが卒業すると活動は一気に寂しくなった。すぐ下の後輩は女子しかいない。同級生も一人。それでも卒業までダラダラと続けることしかできなかった。それどころか、高校生になってもまた剣道部に入った。部員は少なく、大会に出ることもできないような人数だった。最後の大会には軽音楽部にいた何人かを連れてきて無理矢理人数を揃えた。なぜそうまでして続けていたのか、今となってはよくわからない。

「辞めていくヤツ」がちょっとうらやましかった。

中学校の部活動だけでなく、大学、アルバイトほかいろいろ。辞めていくヤツはみんな次の目標に向かっていった。別の部活を始める。専門学校に入りなおす。新しい仕事につく。みんなどこかさっぱりした顔で辞めていく。残された者はなにをさっぱりしてくれているんだ、と呆然とするしかない。ほとんどの場合、自分は残される側だった。進んで自分から何かを選ぶことはむづかしい。では何も選ばずにただダラダラと続けていくことの方は簡単なのだろうか。

儲からない。生活ができない。腰が痛い。誰も褒めてくれない。やめる理由は常にいっぱいある。続ける理由はよくわからない。

五才になった息子はスイミング教室に通い始めた。今のところ飽きることなく通っている。「明日は土よう日。スイミングの日」といいながら、いそいそとパンツを黄色いカバンに詰め込んでいる。たのしい時間は少しでも長く続けばいい。

オフィスビルの四階の廊下でスーツを着た人と話す。向こうもめんどくさそうだし、こちらも早く帰りたい。でも話す。さっきから「ほんとにやる気あるんですか」とか「趣味の店でしょ」とか直球で嫌なことを言われ続けている。たまにエレベーターが「チーン」と間抜けな音をたてる。スーツの人は「今おいくつなんですか」と言い出した。正直に答えると「はあ、まだ若いんやから…こんな本の業界にこだわってんとなんか別の業界に入らはった方がいいんちゃいます? まだ就職もできるでしょ」とめんどくさそうに言う。スーツの人も本の業界のど真ん中にいるはずだ。こういうときちゃんと怒れる人はえらい。なんでお前にそんなこと言われなあかんねん、ふざけんな、もうええわ、と言えたらどんなにラクか。でも、そうねえなどと言いながら誤魔化している。後味の悪さだけが残る会話。結局やめることなく今の生活を続けようとしている。帰り道、クルマでかかっていたのは森高千里の「渡良瀬橋」だった。

服部さんが本屋をはじめるという。仲間たちがあつまってそれぞれにぞれぞれの形で応援している。話を聞いた日から、ぼくもなにかできることはないか考え続けている。でもたぶんこちらがなにもしなくても服部さんはやるような気がする。大丈夫大丈夫。

「本屋をやりたいなとおもって」という人は毎月のようにやってくる。このペースだったらそこらじゅうが本屋だらけになるのではないか。香川から久しぶりにやってきた人は「自宅の軒先を本屋にしたい」と言った。まずはおもてにベンチを置いてみたらどうですか、と言ってみる。店のはじまりはそこでぼんやりすることからだと思う。店の時間の大半はぼんやりすることに耐えること。お客さんのこないぼんやりした時間と必死になって戦うこと。もう今日は誰も来ないんじゃないか、このままでは潰れるのではないかという恐怖と向き合うこと。少なくともうちはそうだ。うちの店だけかもしれないが。

そんなことを考えながら今日も辞めることもできない店をダラダラと開けている。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。