遠くの町日記
高知にいるというKさんから電話がかかってくる。海沿いのバス停でバスを待っているところだと言う。バスはまだ来ないらしい。「教えてもらった道がとてもよかった」と彼女はいった。高知に行きたいと言う話をずいぶん前に聞いて、どこに行けばよいかとのことだったので通っていた大学の前の道を教えたのだった。そこは車二台が楽にすれ違えるくらいの幅の道路で、路線バスや自転車の人なんかも朝夕には割と通っている。居酒屋とか散髪屋、小さな病院がぽつぽつと軒を連ねているが特に賑わっているわけではない。アスファルトで舗装された生活道路。ただ一つ他と違うのは、路面電車が走っていること。電線が引かれ、鉄道の線路が敷かれている。車と自転車と人ならまあ狭くもない道に電車が来るとなるとちょっと話が違ってくる。景色に不釣り合いなサイズの電車が向こうからゴトゴトとやってくる。車は道をゆずるしかない。歩く人は家の軒先に入ってやり過ごす。駅は地面に白線が引かれただけの空間だ。道の真ん中に突然現れる電停。電車を待つ人たちは自動車販売店の横のちょっとしたスペースやタクシー会社の軒先なんかに立っている。みんな当たり前のような顔をしてデカすぎる電車が走る道路を歩いたり走ったりする。夕方になると焼き鳥屋がものすごい煙を道路に流し始める。その煙をかき分けてデカすぎる電車が走る。電車もすごいし煙もすごい。ずっとめちゃくちゃ変な光景だなと思っていた。路面電車が走る街ってこんなもんなんだろうか。広島や岡山や長崎の路面電車を思い出してみるが、もうちょっと電車は電車らしい顔をして走っていた。大学に通っていた四年間、ほぼ毎日その道を通っているとだんだん気にならなくなっていった。でもやっぱり思い返すとあの道へんだよ。道のことを話すとき、電話の向こうでKさんも少し声が大きくなっていた。やっぱりへんな道だった。十何年ぶりにへんな道がへんな道と認められた。「あ、バスがきました〜」とKさんからの電話は唐突に切れた。
和歌山からイハラさんがやってくる。前の日に電話があったのでそわそわしている。通りの向こうから豪快な笑い声が聞こえる気がする。きっとそうだと思っていたらやはりそうだった。イハラさんは相変わらず元気で「うちはもうアカンよ〜わざわざくる人なんていないもん」と笑う。「奈良さんが辞めたでしょ。だからわたしも流行りにのろうかと思って」とかいう。イハラさんの店に行ったときのことを思い出そうとするがなかなか思い出せない。マヨネーズやサラダ油が並ぶ本屋。店を出て温泉にいったことはよく覚えている。イハラハートショップからさらに山奥に入ったところにある温泉で、混浴の露天風呂につかっているとおばちゃんの集団が入ってきて大変な目にあった。そんなことを思い出しているうちにイハラさんとその友人はわいわいと本棚を眺め、「こんな本知らんわ〜」などと賑やかに買い物をして帰っていった。あの日、山奥の本屋であなたがあまりにも楽しそうに仕事をしていたから今の自分はある、と伝え損ねたなと思うが別にそんなことは言わなくてもいいのかもしれない。
元日の午後。京都の家も不気味にゆらゆらと揺れた。テレビの向こうの景色を見ながらそこに住む知人たちの顔が浮かぶ。神戸で大きな地震があったのはちょうど僕が息子くらいの歳だった。暗い部屋とヘリコプターの音。電気がついてからテレビで横倒しになった高速道路をみた。東北で地震があったのは大学を卒業する年の春休みだった。遠くに映される燃える町。どちらも知らない町で起こった遠い出来事だった。いま、津波です!と叫ぶアナウンサーの声を聞きながら、富山駅から電車に乗って行った海岸を思い出している。なぜか砂浜にはクルミがたくさん落ちていた。釣り人がちらほらと竿を下ろしていて、浜からすぐのところには民家が並び、洗濯物が干してあった。あのたくさんのクルミは今どうなっているだろうか。遠くの知らない町ではなく、クルミの落ちている海岸とそこで暮らす人たち。
※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。