わかりやすくない日記
小学校にはいる子どもの粘土を買いに行く。粘土ってどこで売ってるんだろうか。ジャンルがわからない。おもちゃ? 文房具? それとも土? 駅前の大きなビルに行けばだいたいのものは揃う。店内のいたるところに文字がある。こっちはカメラ、こっちはパソコン、ここを上がるとご飯が食べられるとこ。お買い物しやすく、わかりやすく。わかりやすさは度を越すと目がチカチカしてすぐに帰りたくなる。文房具売り場とおもちゃ売り場のややおもちゃ売り場よりのところに粘土はあった。そそくさと売り場を後にする。
家財整理をやっているおっちゃんから電話がかかってくる。「最近はなあ、〇〇さんとこの息子がコロナなったりなあ」と全然知らないひとの近況をしばらく聞かされたあとに「向島の団地の向こうなんやけど来るか」と唐突に要件を告げられる。家財整理の現場に古本がたくさんあるから引き取って欲しいと言うことのようだ。「とりあえず九時に観月橋のとこ」と言うことだけ決まって電話は切れた。翌朝九時前、また電話。「あのな、観月橋渡ったらカーブがあるやろ、ほんで団地がたっとんねや、三本くらいな。その中の、六十三番が黄色、つぎが緑、次がグレーな」道案内をしているのかもしれない。黙って聞く。「ニトリがあるわな、それを越える前に団地の方に入るんやな」 電話の向こうで別のおっちゃんが「マクドナルドもあるでえ」と口を挟んで「ややこしいことを言うな」と怒られている。「バスの道のね、カーブを曲がった先におるさかい、お願いします」 結局どこへむかったらいいのかよくわからない。地図を眺めてニトリとそれっぽいカーブを探す。住所と番地をメールしてくれたら一瞬で済むのかもしれない。でもさっぱりわからない道案内の方が行ってやろうと言う気になるのはなぜなんだ。
岩手に呼ばれた。丘の上にある古民家で古本を売ったりして欲しいと言う。古本を売ることはできるが「たり」はなんだろう。わからないまま飛行機に乗って、わからないまま東和という町についた。遠くに雪をかぶった山が見える。丘の上に立っていると向こうのほうから風がまっすぐやってくる。なににもさえぎられることのないのびのびとした風。すでに会場にはおじさんたちが集まっていた。軽トラックが何台かやってきて、運転席からおじさんたちがのぞいていく。「今日は天気がいいから農作業が忙しい」とおじさんが教えてくれた。忙しいけどのぞいていく。それも次々と。子どもたちも集まってくる。散歩したり、豚汁を食べたり、座っている子どもたちを眺めたりする。「えー、みなさん、自分の子どもは忘れずに連れて帰ってね」という一言で一日が終わった。なんのイベントだったのだろう。イベント、と言う言葉もしっくりこないような一日だった。わざわざ東北まで行ってなにしてきたの、と聞かれるとよくわからない。いい一日だったよ、と答える。
「テレビ番組をつくっているものです」という電話がかかってくる。町家で商売をしている人たちを取り上げたいという。「〇〇さんがうかがいます」と有名なタレントの名前も言う。そうですか、うちでよければ、と電話をきる。収録の日、四人の男たちがきた。「こことここいじりましょか」などと言っている。今度古本市やるんで宣伝してください、などと口を挟む。カメラが回り始めると急に声が大きくなる出演者。どうせ聞かれるんだろうなと思っていたが案の定「店主さんのおすすめの本とかありますか」とか言われる。あー、と思いながら本以外の言い訳を探している。ピーナッツとかだめですか?と聞くがだめっぽい。カメラは回り続けている。
ひとに本をすすめるのは嫌いではない。そのひとの好みや普段の生活のことを聞きながらどんな本が似合うか想像するのはたのしい。「それはもう読みました」と言われると間違ってなかった気もちになる。何度も本を買ってくれるひとにはどんな本がいいかなんとなくわかる。来ていきなりおすすめはなんですか、と言われるとちょっと困る。テレビの向こうの会ったこともないひとにはなにをすすめたらいいかまったくわからない。
雨の中、四人の男たちは帰っていった。放送時間は十分ほどだという。いったいなにが写っているのだろうか。
※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。