文字をながめる日記
近所の八百屋でビールを飲んでいると「活字文化についてどう思いますか」と向かいでワインを飲んでいたおじさんが言い出した。近所の八百屋ではビールもワインも飲めるし、急におじさんに絡まれることもあるのだ。「子どもたちに伝えたいこととかあるんですか」などと言っている。そんなものはない、と即答する。ただ、ひとが思ってるより楽しい仕事だとは思う。つまらなそうにビルの四階で事務作業をしている同じ業界の人たちにはもうちょいおもろそうな顔したら、とは言いたい。他にはなにも言いたいことはない。
仙台から名刺がおくられてきた。活版で刷った大袈裟なもの。かっこいい。届く前日にオグマさんから「郵便番号が間違っています」とメールが届いていた。発送しようとして郵便番号を打ち込んだらエラーになって気づいたのだという。確かに郵便番号の八であるべきところが三になっている。言われてみれば数字の八と三はよく似ている。それぐらいならちょっとペンで書き加えればなんとかなるだろうと思っていた。箱を開いて眺めてみる。やはりかっこいい。裏面はちょっとした遊びが加えられている。活版印刷にしかできないかすれがわざと入っているのだ。オグマさんのアイデア。わざとかすれるようにするには活字を傷つけなくてはいけない。そんなことをしたら使い物にならなくなるんじゃないだろうか。でもオグマさんは平気そうだった。
改めて表面を眺めてみると電話番号もなんか違う。こちらは三であるべきところが八になっている。しかも二カ所。五と八も入れ替わっている。全く知らない人に電話がかかりそうだ。知らん顔して使うのもいいかもしれない。そもそも名刺を交換する機会があんまりない。名刺交換なんて形だけの儀式に、正確なことが書いてある名刺が必要なのだろうか。四角い手のひらに収まるサイズの紙ならなんでもいいのではないか。どうしてもというなら渡すときに電話番号だけ口頭で伝えるのも楽しいかもしれない。
広くはない工房で活字を拾うオグマさんの姿を思い出す。小さい活字を版に収める姿は苗を植える人みたいに見える。誤植という言葉はよくできている。郵便番号の誤植をどうしても刷りなおしたいとオグマさんが言うので電話番号のことも伝えることにした。「ショックでしばらく刷りなおしたものを送れないかもしれない」と返事が来た。
小学生の息子には夏休みというものがあるらしい。学童に帽子を忘れてきたりカブトムシの世話をしたり、毎日汗をぶりぶりかいて忙しそうだ。プリントの束を持ってきて丸付けをしてほしいという。イラストを見て四角にひらがなを入れなさいとかいう問題が並んでいる。白黒のネコのイラストの下「□んだ」の四角のなかには「ぱ」の右半分だけが鏡に写ったような不思議な文字が書かれている。女の子が鼻から滴を垂らしているイラストの下の「はな□」には無理矢理「みず」と二文字が詰め込まれている。おもしろいからそのままでいいんじゃないかと思うが、マルかバツかと聞かれるとちょっと困る。彼に名刺を作ってもらったらどんなものができるのだろうか。それを渡されて人はどんな顔をするのだろうか。少なくとも三と八が間違っていたってどうってことないと思う。
結局、一ヶ月もたたないうちにオグマさんから刷りなおした名刺が届いた。しばらく眺めてみる。店の名前と自分の名前、それから住所と電話番号、メールアドレス。単なる活字の集まりが詰め込まれた小さなカード。実は名刺を作るのは初めてではない。以前勤めていたところでは常に持ち歩いていた。忘れたらわざわざ取りに帰ったりしていた。いまの店を始める少し前にも近所の印刷所に行って作ってもらった。必要だと思っていたのだ。心細かったのかもしれない。そのとき刷った名刺はもうない。全部人に渡してしまった。誰に渡したのかも覚えていない。最近は「名刺とかなくて」と平気でいうようになった。そもそも名刺をくれと言われることが年に一回くらいしかない。
届いた百枚の名刺はそのまま箱にしまってある。使うあては全然ない。なにか意味があるのだとしたら、もう少しこの仕事をしなさいということなのかもしれない。
※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。