まだまだ日記

真夏。あまりにも暑いので誰も歩いていない。誰も歩いていないので誰も店に入ってこない。近所のひととの挨拶が「あっついねえ」から「まだまだあついねえ」になった。「まだまだ」に少しの希望をたくしている。もうすこししたら涼しい季節がやってくる。でも暑いので誰も歩いていない。当然本も売れない。

地域の夏まつりが開催されるという。三年ぶり。「夏まつり」という単語に慣れない息子はなぜか「つくえはあるの?」と心配している。どうやら保育園の夏まつりと混同しているらしい。保育園の夏まつりには机がいるのか。夏には夏まつりがいろんなとこでやってるということすら新鮮な五歳児。

「三年ぶりの」と頭につくイベントが多い。町内では地蔵盆や運動会の準備がすすんでいる。大人たちは「前はどうしてたかなあ」とぼんやり話し合って何とかする。中断していた三年間よりもそれ以前の何十年の蓄積のほうがはるかに大きい。子どもたちにとっては「三年ぶり」と言えば「はじめての」とほとんど同じ意味になる。ひとつふたつ上のお兄さんやお姉さんが経験しなかったイベントが突然やってくる。遠足、お泊まり保育、修学旅行、それから夏まつり。

やらないという選択肢もある。まだやめといた方が、という意見もある。まだって便利な言葉だと思う。まだ、今はちょっと。いつかわからんけど。確かに感染症はこわい。それに対して、どっかの国のえらい人がいいよって言ったから、ではあまりにも考えが浅い気がする。簡単にやらないを選ぶよりは、どうすればちょっとでも安全にできるのかを考えるのが大人の仕事ではないのか。よくわからないウィルスに振り回され、子どもたちに三年間いろんなことを我慢させて、その結果が「まだちょっと…」と言い続けるだけでいいのだろうか。

 学生の頃、日雇いのアルバイトで祭の手伝いというのがあった。いの町のすみっこにある神社に集められた数人が、祭っぽい装束を着せられる。本殿に上がると「今から息をしてはいけません」と言われ真っ暗になる。電気がつくと神輿が用意されている。ゾロゾロと神輿や長い棒や木箱を担いで歩き出す。なにか掛け声があるわけでもなく、とくに見物の人がいるわけでもない。わりと狭い山道を登ってついたのは空き地なのか公園なのか微妙な空間だった。端っこにうんていと鉄棒がある。それによじ登るように指示される。衣装を着ているので上がりにくい。登ったところで見渡すと山の上の空き地にしては結構な数の人がいてみんなこちらを見上げている。下から餅を渡される。これを撒けという。撒くといっても人はすぐ下にいて、こちらはうんていに登っただけなのでほとんど手渡しに近い。遠くで参加しづらそうにしている子どもやお年寄りにも投げる。餅がなくなるとあっという間に人はいなくなる。神社に戻ると給料と紅白の餅を手渡され帰った。あれはなんの祭だったのだろうか。

鴨川の土手でKさんと缶ビールを開けている。右も左も外国の人ばっかりだ。隙間があればカップルは等間隔に、とか言ってられるのだがぎゅうぎゅう詰めでそれどころではない。五、六人の集団がびっしりと連なりはしゃいでいる。日本語は全く聞こえてこない。喧騒の中でKさんの声を一生懸命聞こうとしている。早口なのでよくわからない。どうやらぼくが悩み相談をしていることになっているようだった。「貸したものはね、帰ってこないと思ってるんですぼくは」と急にはっきりとKさんが言った。「十万くらいもらったほうがいいんとちゃいますか」とも言った。それぐらい働いているという意味らしい。褒められている。だが現実には十万くらいもらったほうがいい仕事をタダでやっているのだ。褒められて喜んでいる場合ではない。

また、オフィスビルの四階の廊下でスーツを着た人と話す。半年くらい前から同じ話しかしていない。「毎月の十万くらいの出費なんですけど、これなんとか言い訳できませんかねえ」とか言われている。言い訳できたらどうなんだ。十万返ってくるなら一生懸命言い訳を考えるが、言い訳したところで一円にもならない。「まあ今はまだアレなんで…まだまだこれからですね。頑張りましょ」とよくわからない励ましをもらって帰る。まだまだこれかららしい。一体いつまで続くのかわからない「まだまだ」と、売れるかわからない雑誌の束を抱えて帰る。開店時間はもうちょっとすぎている。

 

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。