遠くに行きたい日記

自転車が多い。うちの前の道が特に多いのか、京都という町が自転車の多い町なのか、それとも日本人はみんな自転車に乗っているのか。正解はわからない。ここでしか店をやったことがないし、こんなに一日中家の前の道路を眺めているなんてことはこれまでの人生でなかったから。

夕方になると特に自転車がたくさん通り過ぎていく。そのほとんどが子どもを乗せる荷台のついた自転車で、母や父が一生懸命ペダルをこいでいる。後ろの荷台にひとり、前にひとり、さらに背中にもうひとりおんぶしていたりする。子どもたちは寝ていたり泣いていたり歌っていたりいろいろなのだが、ほとんどの子たちは首を傾け斜め上あたりにぼんやりと目を泳がせている。あの表情はなんというのだろう。ぼーっとしているという以外に言葉が見つからない。大人が無表情で歩いていたりするのとはまた違った顔。味わいがある。自転車をこぐ親には見ることのできない顔。今なに考えてるん?と自転車を止めて聞いてみたいのだがそんなことはできない。ぼーっとした顔をして通り過ぎていく子どもたちをただ眺めている。自分も同じような顔をしているのだと思う。今なに考えてたん?と聞かれると非常に困る。

近所の小学生姉弟が引っ越すという。アメリカに。遠いなあ。さみしくなるねえ。自分も何度か引っ越しをしたし、海を渡って引っ越したこともあった。海と言っても瀬戸内海だけど。学生の時は寮で暮らしていて、半年に一回部屋替えという名の引っ越しをしていた。その頃は小さな本棚とロッカーに入るだけの服、それから布団と炊飯器くらいしか荷物がなかったので引っ越しは数時間で終わる作業だった。だが引っ越し先の部屋には前の住人がいて、その住人の引っ越しが終わらないと入れない。その住人が引っ越す先にはまた別の住人がいる。二十人が同時に部屋を移るのだから大変な騒ぎになる。毎回必ずひとりは廊下に全部の荷物を出されて途方に暮れる奴が出てくる。段取りよく玉突きの順序を考えて指示を出す奴も現れるのだが、そんな奴が現れるのは大体騒ぎが大きくなり混乱が起こってからだ。半年に一回ギャーギャー言いながら、どうしてこんなに面倒くさいルールになってしまったのか、と思っていた。でも今になるとわかる気もする。ものぐさな男たちが四年間も同じ部屋で物を動かさずにいたらどうなるか。布団の下には間違いなくカビが生えるし、ベッドの下には何かわからないものがどんどん溜まっていくだろう。大掃除とかではなんともならない蓄積。いっぺん全部出して入れ替えたほうがいいに決まっている。

本屋で仕事を始めて最初にやったのは文庫の棚の並び替えだった。店長が「自分が思うように並べてみ」と言った。出版社ごとがいいのか、著者別にあいうえおで並べたらいいのか。時代小説だけはわけたほうがよさそうだが、単行本を混ぜてしまうのも面白そうだ。棚の図面を手に本の背を眺めて立ち尽くす。なんの工夫もないと思っていた棚が結構計算されていたことに気づく。あーでもないこうでもないとダメ出しされながら数週間。文庫はサイズがほとんど一緒だからありがたいね。あっちにやったりこっちにやったりできる。絵本や写真集だとこうはいかない。棚の高さを変えたり位置を考えたりしないといけない。文庫はいい。作業を終えると、「並びとかは別にどうでもいいねんけどな。自分でやったらどこになにがあるか覚えるやろ」と店長が言った。

店にタイヤがついてたら楽しいかも、と思う。柱の下にそれぞれコロがついてて、ストッパーを外すと動き出す。今日はこの空き地でやろかな、とか。ごろごろごろごろ。自動車の荷台に本棚を積んだクルマなら知っている。本棚が動く本屋さんもある。棚が生きてるのかと思うほど、いくたびに景色が変わっている店もある。それなら店が動いたっていいじゃない。ごろごろごろごろ引っ張って、今日はこんな景色。明日はどこに行こうか、とかやってみたい。この町の人は合わないな、とか、南向きはちょっと日差しがきつい、とか延々と言っていたい。と、そんなくだらないことを考えながら今日も昨日と同じ景色を眺めている。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。