アナアケ日記

朝、保育園に行こうと家を出るとお隣の枝切りが始まっていた。長い枝切りハサミを触りたいと騒ぐ三歳児。「ここを握るでしょ。ほらチョキン!」と教えてもらってうれしそう。葉っぱの真ん中や枝の先っちょだけが切れてパラパラと落ちてくる。向こうから近所のおばあちゃんがやってきた。「自分の子どもやったらイライラしてしまうけど他人の子どもやったらあんなしてゆっくり相手できるわなあ」と言う。「私も若い時分は無茶苦茶言うてたわ子供には」そうですねえ、つい怒っちゃいますからねえ、と適当に相槌を打っているととおばあちゃんは驚いたように「そうなん。あんたも人間やったんやな」と言う。なんやと思ってたんや。ここは宇宙人がやってる本屋か。

「アナキズムについて考えなさい」と言う宿題が出た。アナキズム。ネットで調べると「無政府主義者」とか「国家は死滅すべきもの」とかなかなか大変そうだ。政府とか国家のことはわからない。近所にないし。あるのは生活だ。本当にリアリティがあるのはいま隣にいる人の声だ。それが知っている人でも知らない人でも。

いつの間にか店内に座っていた男性が突然「ここに前住んでたんですよ」と言い出した。え、Oさんですか、と言うと「そうです」とうなずく。シモヤケができるから引っ越したと言うOさんですか、と言うと「高木さんでしょそれ言ってたの」と笑う。「ネットで見てこの家やんって思ってきました」と懐かしそうに天井を見上げる。「この壁とかね、塗り直そうかなと思ったんですけどね」ああ、ポロポロ砂が落ちてきますよね、とささやかな悩みを共有する時間。脱衣所と台所は床を直しました、大家さんは元気ですか、お向かいのおばあさんは相変わらずですか、とかいう他の誰にもわからない会話が心地よい。

みんなに伝わる大きな声よりも、ここでしか発生しない小さな声。当人同士にしかわからないことは、当人同士にわかればいいのだ、と思う。世の中にはわかりやすいことが多すぎる。わからないことはわからないし、人が入って行ける場所は限られている。

「佐々木酒造のところでね、おばあさんに道を聞いたの、そしたら遠くもないけどちゃんと説明できないからこの道をまっすぐいって、その辺で誰かに聞いてみてって言われたの」と汗を拭きながらおばさまが話し出した。佐々木酒造からここまではふたつめの交差点を左に曲がるだけで着く。大半の人にとってはややこしくない道のりだがおばあさんにはむづかしかった。「それでね、誰かに聞こうと思ってキョロキョロしてたら本の看板が見えてね、たどり着いたのよ。ここはわかりにくいわねえ」。誰にも聞かずにたどり着いたくせにわかりにくいとはどう言うことだろうか。住宅街の真ん中に突然店があったらそれがどんな店でもまあわかりにくいだろうなとは思う。家の並びの中に穴を開けたみたいなスポット。

Spotには小さな領域とか、しみ、ニキビと言った意味もあるらしい。生活の中に空いた小さな穴。大きくもなく小さくもなく、穴であり続けるように。ふと立ち止まって覗くと奥から涼しい風が吹いてくるかもしれない。

あなたは何主義者ですか、と聞かれたら穴あけ主義、アナアケズムです、と答えることにして例の宿題からは逃げようと思う。逃げるためにも穴があると便利だ。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです