しゅんかんの日記

 配達の途中、学校の前を通ると人だかりができている。卒業式と書かれた大きな看板。ちょっと早くないか。まだ二月も終わっていないのに。でもこれから式に出るのであろう人たちはちゃんとした格好をして校門をくぐっていく。そういえばこの学校、中学生の時に受験したなあ、滑り止めとか言って。滑り止めってすごい言葉。などと思いながら配達先のデイリーヤマザキに車を走らせる。

小学六年生のKが久しぶりにコロコロコミックを買いに来た。あと二日で新しいの出るけど、と聞いても「いいです二月号で」と言う。おつりを渡すとすぐに帰ろうとするので、ほんで、どうやったん、と聞いてみる。「え」とこちらを見上げるK。受験終わったんやろ。「ああ…、そうですねえ」とモゴモゴ言っている。一週間くらい前、選挙の投票所でお父さんに会った時も「ぼくに聞かないでくださいよお」と濁されていたのだった。それだけでなんとなくわかるのだけど、もうちょっと聞いてもいいような気がしてさらに声をかける。春からどこの中学行くのよ。「えーっと、そうですねえ…」と歯切れ悪く近所の公立中学校の名前をあげる。あかんかったんかいな、受験は。「そうですねえ、むずかしかったです」とうつむいてしまった。二条中学もたのしいわ、きっと。と言って送り出すとあっという間に走って帰っていった。

 受かることがいいことで、落ちることが悪いことだとは思わない。二十年前、滑り止めの私立高校しか受からなかったら悪い人生だっただろうか。ぎりぎり受かった公立高校に自転車で毎日三十分もかけて通った三年間は今から考えればわりといい時間だったけれど、自転車をこいでいるその時には朝のチャイムに間に合うかどうかしか考えていなかった。その瞬間にいいも悪いもない。いいか悪いかは今すぐに決まるものではない。

それでも大人は「結果どうやった」とか「六年間おもしろかったか」とか聞いてしまう。そんな質問にはすぐに答えなくていい。その場でモゴモゴ言って、何十年後かにまあええかと思っとけばいい。

 

 歩道に行列ができている。行列の先頭はパン屋か、ベーグルを売る店か。ああ、またか、と思う。近所の弁当屋は二年前までは普通に買い物ができた。今では大行列に並ばないと買えない。歩道を通り過ぎることもむづかしいし、路上駐車のクルマでバスは通れない。特別おいしいわけでもない、大きすぎるだし巻きと良心的な価格の弁当屋だった。誰かが紹介した、テレビに出た、ネットでバズった。とたんにシロアリのように人が湧き、店を食い尽くしていく。普段の生活とは縁のない、わざわざ頑張っていく場所になってしまう。近所の人間は行くことをあきらめる。どこからかやってきて長い長い行列に並ぶかれらは一体なにを食べて見て買っているのだろうか。味や雰囲気ではないだろう。うしろにたくさんの人が並んでいる場所でじっくり吟味したりのんびりくつろげるとは思えない。情報は一瞬の切り取りだ。店は一瞬で切り取れるようなものではない。何度行っても違う表情をする店もある。いつ行っても安心させてくれる店もある。何度も前を通り過ぎることで伝わってくるものがある。瞬間だけを切り取って批評する紹介する拡散する。そんなものでなにが伝わるのか。もちろんそれを狙った店もある。ラーメンの丼に火をつければ客がよろこぶ。その瞬間のために三千円を払う。もうそれはラーメンじゃなくてもいい。

 

 息子が怪我して顔がパンパンに腫れている。翌日には右半分が誰かわからない顔になっていた。それでも学校に行くというので送り出したが、案の定、休み時間に電話がかかってくる。病院に行ったほうがいいんじゃないですかと言われるとなんの反論もできない。しばらく安静にするように、という医者の一言で三連休の予定は全て真っ白になった。小学生の男子に安静などと言ったところで聞くはずがない。家にいても暴れているだけなので海に連れて行くことにした。狭い室内でバタバタされると気になるが、広い海岸なら多少走ったりしていても気にならない。それが安静なのかは知らないが。海の向こうには大きな空港が浮かんでいる。沖からの風はもう冷たくはないが、やわらかくもない。見ている間に海面に白波が立ち始めた。強い風、と一言で言ってしまえばそれまでだが風の中にも強弱がある。ブワッと吹きつけた後には少しの間があったりする。数字にすると瞬間風速は平均風速よりも大きく強い。風を浴びつづける数分間の中にある一瞬の強風。あっちこっちに落ち着きなく走り回る七歳児をみていると足元の砂が風に煽られて吹き上がる。それでもゆらゆらと風に身を任せていると息子はいつの間にか同じくらいの歳の子どもと一緒になってカニを捕まえはじめていた。

 

 

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。

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