セブザムライ

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。いつもは自由に書いているのですが今回はなぜか店名の由来について書きなさいという指示があり困ったなあと思いながら書きました。

  

「なんか新しいの入ってますかー」と近所の人がやってくる。この辺とかどうですか、と言いながら置いていた何冊かを出してみる。「そうそうこんなんすきやわー」と言いながらページをめくっていたかと思うと「これはいくら?」と聞く。この人が選ぶ本はいつも値札がついていない。百円とかそこらの均一本、しかも洋書がいいらしい。イラストとか入っているとなお良い。他に買う人もいないので入荷したら適当に隅っこに積んでおく。気になったやつはその場で値段交渉。といっても二百円でいいっすよ、とか、それはちょっと高いかなあ、とかそんなん。今日は珍しく値段のついた本を手とった。値札に目をやり「待賢ブックセンターって書いてあるけど、この店となんか関係あるの?」と聞く。ああ、その店がこの店ですねえ、とぼんやり答えると「ええ?」と聞き返される。うちが待賢ブックセンターなんです、ともう一度いう。「あ、そうなんやあ。そうやったんやねえ」とやけに感心しているのでどうしたんですかと聞くと、ネットで名前は見てたけどここやと思ってなかったらしい。「古本市とかたまに名前出てますよねえ」とかいう。そうですそれがわたしです。
 この人にとってこの店は今までなんていう店やったんやろうか。名前のない店? なんか急に始めた本屋? 店名とかどんな店とか関係なく、ただ2週間にいっぺんくらいのぞいて、なんかあったら買う。なんもなかったら帰るひと。なんというか、なんだかとてもただしいなあと思う。本質を見ている、というとおおげさか。ゴマカシが効かない緊張感。そういえばぼくもこの人の名前を知らない。あそこらへんのマンションの人としか。どんな本が好きかはよく知っている、つもり。

 店の前の看板には店名が入っていない。「本」と日に焼けたオレンジ色で一文字だけ。もらってきた看板だから仕方ない。自分にとっては一文字で十分すぎるくらいたくさんのものが詰まった看板だからそれでいい。店の中に入るとカードが置いてある。そこまできてようやく店名にたどり着く。ロゴデザインは矢萩多聞さんがやってくれた。わりと気に入っている。鳥みたいなマークは甲骨文字の「風」をちょっと変えたものなんですよ、とか聞かれたら答えることはたくさんある。この前カードを手にとった人が「セブザムライ?」と首を傾げていた。いや縦に読んでください、侍じゃなくて待です、と訂正するよりも、それおもろいっすね、のほうが勝ってしまう。その日からここはセブ侍でもある。正しくは「ゼブ侍 ソツ タク賢 1」である。最後なんて読むんや。

 夕方、ヨレヨレの背広をきた五十くらいのおじさんがふらりとやってきた。マスクの中でモゴモゴと早口で話す。何を行っているのか分からない。え? と三回くらいいうと少し話すスピードが遅くなった。それでも何をいっているのかは分からない。しばらくして地図に広告を出してくれ、という話であるかもしれないと思い始めた。「社長さんはおられますか」とか言っているがそれには答えずいくらなんですか、と聞いてみる。「この小学校の生徒さん全員と、自治会とで何千部かは配布します」という。いや値段は? ともう一度聞く。「各家に配布もしますしね」とまだなんか言っている。通販番組のあれなのかもしれないな、と思い始めた。いろいろいいことがくっついて、お値段なんと税込〇〇円!みたいなやつ。おじさんは「デザインもうちでやらせてもらいますし」とかまだ言う。何を言っているのかは分からないがちょっと面白いかもしれないなと思い始めてしまった。もう値段とか広告とかどうでも良くなっている。「もちろんお代は完成してから頂戴しますので」と話し続ける早口のおじさん。後日、別の人が集金にきた。一万六千五百円。えらい高いやんか。

「どこそこの店の人はなんちゃらで修行してはったから」とか「わたくしこういうものです、ちゃんとしてます」よりも、どこの誰か分からへんけどまあええか、くらいの方が伸び伸びできませんか。なんかめっちゃ汚いけどうまい、みたいな。何言ってるか分からへんけどまあええか、とか。何屋か分からんけどよういくねん、って。

 そういえば今日はじめて行ったラーメン屋の焼き飯は洗剤みたいな味がした。店の名前は覚えていない。八百五十円。まあいいか。