人工の風

 急に雑誌の取材依頼がいっぱいくる。この2ヶ月で3件? そんなにたくさんとりあげられたらすぐ飽きられるにちがいない。怖い。と思っていたらテレビに出ませんかという電話までかかってきた。目の前の人にすら何回も「え?」と聞き返されるような喋り方しかできない奴がテレビはダメでしょう。「もうちょっと声張ってもらえますか」とか言われて、ああすいません、とかボソボソ言っている自分が容易に想像がつく。だめだ。申し訳ないのでお断りします、と言おうとしたら電話の相手が「お近くなんでねえ」と言い出した。制作会社が徒歩2分のとこある。ううう。そんなことあとから言わんといて。

 取材を受けるたびに言うのだけど毎回微妙な反応をされて終わる話がある。「ヨットと本屋は同じ説」。これまで何人ものライターさんやら記者さんやらにことあるごとに言ってきたのだがみんな「ああそうですか」という顔をしてメモすら取ってくれない。かなしい。もちろん記事にもならない。かなしい。今日もディレクターさんに言ってみたのだが「へえ」と言われ終わった。かなしい。もう言わない。いや言う。だれかちゃんと聞いて。

 ディレクターさんの話を聞いていると軽トラがやってきた。毎週火曜日は古紙回収のおっちゃんがきてくれる日。ダンボールやらチラシやら。たまにもうどうしようもない古本もお願いする。高校の文集とかね。そんなもの引き取るなよ、と自分でも思う。「これはあかんねん」と申し訳なさそうにおっちゃんがいう。布張りの本やピニールは機械に入らないらしい。「誰が入れたか見られてんねん。そいで持って帰れって言われるんや」と本当に申し訳なさそうに言う。そうですか。そしたらそれ以外のやつおねがいします。

 ふと思い出して、ところで御所の向こう側っていかないですか、と聞いてみる。丸太町通ずっといって、河原町通の一本東の通りなんですけど。「えーっと」と言うおっちゃん。「府立病院のとこかな?」いや府立病院よりもっと南の。「府立病院のとこの八百屋には毎日行くんやで」あー、どこやろそれ。たぶん近いけどちょっと違うんですけどね。本屋さんがあって、古紙回収にちょっと困ってるみたいやったからのぞいてくれません?「ほなこのあと行ってみますわ」と運転席から小さなメモを出してきた。震える手で河原町通と丸太町通を十の字に書く。書きましょか、というと「脳卒中の後遺症でね」といいながら鉛筆を渡された。メモはなんかの裏紙の束だった。

 外はあまりにも暑すぎて風が吹いているのかもわからない。店に戻るとHifi caféの吉川さんにもらった扇風機と助成金で買ったエアコンが冷たい風をかき回していた。人工の風。つくられた風に生かされているわたしたち。ほんとうの風が吹くのはまだ先なんだろうな、と思う。助成金と、補助金とでギリギリ生かされている日々。売り上げだって人からもらったお金じゃないか。でも全然違うよね。なんというかぬるさが。ヌルヌルしているお金。エンジンで動く船もヌルヌルしている。ガソリンが。風だけで動くヨットは・・・。とかいうこの話、きっと誰も必要としていない。だれか聞いて。

 徒歩2分の会社に帰っていくディレクターさんの背中を見送る。徒歩2分とは事務所の玄関に入っていくところまで見えてしまう距離なのだね。今日はやけに高知の本屋の話ばっかりしたな。昔の話をしながら昔の記憶を作っているのかもしれない。なんども話すことで自分を作っている。そのときはなんも考えずにやっていたことを無理やり今につなげている。10年後には10年前の話も全く違っているのだろうか。全然違う思い出として話しているのだろうか。それはなんかちょっといやだ。ずっと座っていたので腰が痛い。痛み止めの薬とコルセットに生かされている。風が弱いときのヨットも、じっとして変な体勢で走らせるから腰が痛くなるよ。という誰も必要としていない情報。だれか。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものをちょっと変えたりしたものです