【風とモビール】にばんめのお手紙

風とモビール 往復書簡

出窓でゆれている佐々木未来さんのモビール展。展示の初日に居合わせた、写真家の吉田亮人さんと佐々木未来さんのあいだで往復書簡がはじまりました。

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吉田亮人さんから、つぎのお手紙(2022年6月22日)

未来さん、元気ですか。僕は元気です。
前回、未来さんにお手紙をお送りした時は、まぶしい新緑と爽やかな風に包まれていましたが、あれから約1ヶ月が経ち、京都は蒸せるような空気に入れ替わり、いよいよ夏の到来が目前に迫っています。
その間も未来さんは1日と欠かさず「日めくりと私」を描いていたのでしょう。「日めくりと私」を初めて僕が見たのはいつだったか正確な記憶が定かではありませんが、恐らく装丁家の矢萩多聞さんに
「こんなことしてる人がいるんだよ」
と教えてもらって、日めくりカレンダーに描かれた多種多様な絵を撮影した写真を見せてもらったのが最初だったような気がしています。
その時に
「あぁ、僕と似たようなことしてる人がいる」
と親近感を覚えたのを記憶しています。
未来さんも知っている通り、僕は写真家になる以前から「チェキ日記」と称して家族の日常を富士フイルムの「チェキ」で1日1枚撮影し、それを「月光荘」というスケッチブックに貼り付けて残してきました。現在もそれは続いていて、僕の日課みたいなものになっています。
これは「二度と戻らないこの時間を忘れたくない」というシンプルな動機からスタートしました。言うまでもないことですが、「今」という時間は今この瞬間にしか存在しません。その瞬間が終われば「今」はあっという間に過去になり、もう二度とその地点に立つことはできません。時間は常に一方通行で、一方向にしか進みません。この絶対的な時間の法則の中であっという間に立ち現れては、すぐさま消えていく「今」という時間を僕はなんと儚いものだろうと思うのです。
そうやって時間を捉え直すと、この儚い時間の中で僕たちが経験するひとつひとつは何と愛おしくて切ないものだろうと思いませんか。
僕は常にそんなことを考えているものだから、せめてその瞬間を、その時間を、その経験を写真という魔法を使って、永遠に止めておきたいと思って、毎日家族にカメラを向けて写真を撮っているのです。
それが何になるわけでもないんですが。
しかし、僕たちは時々過去という時間に立ち戻ることが必要な時もあります。不可逆な時間の法則の中で、物理的に過去に戻ることは出来ませんが、記憶という海に飛び込めばそれは可能です。記憶の糸を手繰り寄せて、任意のあの時を像として頭の中に投影し、しばし過去に浸る。未来さんもそんな経験があると思うのですが、そういう時に写真は記憶の細部を更に増幅させて思い出の解像度を上げてくれます。
何年も前に撮った写真を見て「そういえばこんなこともあったな」「そんなところにも行ったな」「あんな人と会ったな」と、写真の中で凍結されていた時間と情報が一気に解凍されて、記憶がブワッとあふれ出し、生き生きと時間が流れ出すことがあったかと思います。そんな時、時間は頭の中で行ったり戻ったり、速くなったり遅くなったり、動いたり止まったり、子どもになったり大人になったり、完全に自由自在です。
僕はそんな時に最も写真の力を感じます。
そして写真がかつて在った「今」という時間の結晶なのだなと再認識させられるのです。
今、自宅の書棚に並べられている100冊以上になった「チェキ日記」。この日記の中に収められている写真の1枚1枚が、かつての「今」が詰まった二度と戻れない時間かと思うと、より一層時間の儚さを感じます。だから多分僕はこの体が動く限りは、これからも写真を撮りためていくのだと思います。
特に誰も見ないけれど。

こんなことをつらつらと書いていたら、未来さんは「日めくりと私」をどんな風な想いで毎日描いているのか気になってきました。よかったら教えてください。
それではお返事楽しみにしています。

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佐々木未来さんから、お返事(2022年6月24日)

吉田さん、こんにちは。私も元気です!
お手紙ありがとうございます。夏ってこんなに暑かったっけ?と毎年驚くのはなぜでしょうか。
京都の夏でまっさきに思い出すのは、ものすごい音量とグルーヴ感の蝉時雨と、水の有り難さです。
昨年、下鴨神社の『みたらし祭』に初めていきました。御手洗池に足をひたし、糺の森を歩き、灼熱と清水のコントラストにくらくらしたのでした。
「日めくりと私」の展示が京都でスタートしたのも、吉田さんの「チェキ日記」の展示を見に行ったのも、ちょうどその頃でしたね。
吉田さんの日記には、写真と一緒に手書きの短い文章が添えられていました。日記っぽかったり、家族へのメッセージだったり。眺めていると、他人の私まで「この人たち好き!ずっと元気でいて!」という気持ちになってしまうほどでした。(キュウリをまるかじりする子どもたちの写真がかわいかったなあ)

「日めくりと私」は続いていますよ。私の場合は、ひょんなことから日めくりカレンダーを手に入れたので、ちぎって捨てていくくらいなら、その紙に好きな絵を描いてみよう、というのがきっかけでした。その頃の私は、かなりくたびれていて、大好きな「絵を描く」ということもできずにいました。だから、日めくりの紙に絵を描けば、1日1回は、自分が好きなことが出来る!と思ったのです。しかも、紙には数字や文字が描いてあるので、これをヒントに遊べます。(真っ白な紙に絵を描くとなると、けっこう悩んでしまう)誰かに見せるわけでもなく、まったく自分のために始めました。なので、毎日何か特別なメッセージがあるわけでもなく、意味がない絵がほとんどです。むしろ、どんな絵になるか、私自身が楽しみたい。どうしても意味を込めたい日は、腹をくくって描きます。そして、ひとつ心がけていることは、同じ絵は描かないこと。その方が面白いから!
描くことを続けていくと、見た人が絵を面白がってくれるだけでなく、その人自身の記憶と重ね合わせて、その日を語り始める、ということが起こってきました。
「自分の誕生日に、偶然好きなものが描いてある」「この年のこの日に家族を失ってしまった」「子どもの年齢と日めくりの枚数が同じ」など、思いがけない言葉をかけてもらうことがあります。
そうした声をきいていくうちに、人の中には「私を分かってほしい」と「私以外に分かってたまるか」の相反する気持ちと、「あなた知りたい」という気持ちがうねっているのかもなあ、と感じるようになりました。
「二度と戻らないこの時間を忘れたくない」という気持ちから、吉田さんの日記は始まっていますよね。私の場合は、続けていくうちに「あの日のこと、忘れたくないな」という気持ちにだんだん変わっていきました。瞬間的な「喜び」や「嬉しさ」が、時を経ると「愛おしさ」や「幸福」になっていくみたいに。私は少し前まで、写真は「瞬間を切り取っている」と思い込んでいたのですが、吉田さんからの手紙を読んで、どうやらもっともっと奥行も天地もありそうだと腹落ちしました。自分の言葉でうまく説明できないけど…。
私も吉田さんも、「今」と「記憶」のことが気になるみたいですね。その話をもっとしてみたいです。

さてさて、5年前に初めて東京で展示をしてから、神奈川、京都、奈良、滋賀、三重と展示そのものも旅を続けています。こんな珍道中になるなんて、自分でも驚いています。
年内には私の手元に戻ってくる予定です。ついに、絵のメンテナンスと展示方法の改良をします!以前、吉田さんから教えていただいた、ダヤニータ・シンの写真とインスタレーションが大きなヒントになりそうです。

なんと今日でモビール展が最後なんです!(え〜!)
モビールたちが待賢ブックセンターに馴染みすぎて、なんだか名残惜しいです。
展示が終わっても、吉田さんとこれからも交流できたら嬉しいです。
また会いに行きます。

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お手紙を書いた人

吉田亮人 Akihito Yoshida
写真家。1980年宮崎市生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイにて日本語教師として現地の大学に1年間勤務。広告や雑誌を中心に活動しながら、「働く人」や「生と死」をテーマに作品制作を行い国内外で高く評価される。写真集に「Brick Yard」「Tannery」(以上、私家版)、「THE ABSENCE OF TWO」(青幻舎・Editions Xavier Barral)などがある。2021年、写真家としての10年間の活動を綴った書籍「しゃにむに写真家」(亜紀書房)が刊行。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2015・ピープル部門最優秀賞など受賞多数。

佐々木未来 Miku Sasaki
イラストレーター、グラフィックデザイナー。札幌生まれ。絵と本と本屋と旅が好き。「日めくりと私」は全国を巡回し、インスタグラムで全作品を公開中。
主なイラストの仕事は、「谷根千のイロハ」(亜紀書房)、「別鶴」(白鶴酒造)、「Tree of Life」(Born Lucky)、「くらし中心」(良品計画)、「sinonokan」(洋 菓子店 sinonoka)、『はるこの祇園祭』(コドモト)。「I・Concept」(株式会社 池田)、「sonarpakhi」のロゴデザインなど。
著書として『日めくりと私』(ambooks)、『ほんとのはなし』(本屋・生活綴方出版部)を刊行。

佐々木未来個展「風とモビール」

会期 2022年5月3日(火祝)-6月24日(金)
会場 開風社 待賢ブックセンター ギャラリー西日
   〒602-8125 京都市上京区大宮通椹木町上る菱屋町818
  11:00-19:00 日月休

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