『16日間の日記、29日間の日記』のこと

 清野さんと最初にあったのがいつだったのか、全く覚えていない。ただ確実なのはその時ふたりとも酔っ払っていたということだ。これまでに清野さんと会ったそんなに多くない時間のおよそ半分は酔っ払っていたと思う。どうしてそんなことになったのか今となってはわからないのだが河原町通から堀川通をこえて三条商店街まで歩いたことがある。もちろんふたりとも酔っていて清野さんは通り過ぎる全ての電柱に激突していた。なぜかいつも清野さんの前では調子に乗ってしまい、いつかめちゃくちゃに怒られるのではないかという恐怖が常にある。あと残業を一切しないその働き方の秘密をいつか暴きたいと思う。

 涌上さんは「恵文社に最近入ってきたまだ喋ったことのない新しい人」として認識していて、その認識は今でもあまり変わっていない。本人は「いやふたば書房のレジにいた時からぼく鳥居さんのこと知ってますよ」と言うのだが全く覚えていないし、なんなら銭湯を貸し切って脱衣所や湯船のフチで古本を売ると言うカオスなイベントに出店した経験がふたりともにあり、そのようなカオスなイベントがこの町で何度も開かれているとはとても思えないのであの時ぼくたちは同じ会場にいたはずである。もちろん全く覚えていない。その風貌と背中の丸さは一度見たら忘れられないとは思うのだが。いつだったかふたりでココイチのカレーを食べながら涌上さんが原付の免許を失効してそのままにしているという話を聞いた。この人ちょっとおもしろいな、と思った。

 面高さんのことは清野さんから聞いたのが最初だったと思う。ba hütteの窓ガラスを磨きながら「そういえば新しく出版社始める人がいるん知ってる?」と唐突にはじまった清野さんの話をぼくはほとんどまともに聞いておらずオモタカという名前が曖昧に記憶に残っただけだった。その後、面高さんはN社の新刊が届いた1、2週間後に必ず店に来て「N社の本売れてますか」と聞いてくるようになった。売れてるといえばくやしそうな顔をし、売れてないというと特に何にも言わない。その几帳面さがもしかしたら面高さんの全てなのかもしれない。

 なぜかそんな3人と飲みに行くことになり、京大近くの居酒屋に集まったことからこの冊子ははじまった。清野さんはただそこにいて、面高さんが準備してきた資料を囲み話をする。だいたい遅れてくる涌上さんはたまに相槌を打ち真面目に聞いている風を装い、同じくだいたい遅れて行くぼくはその場の空気を楽しんでいた。「鳥居さん毎回違うこと言いますよね」と面高さんを苛立たせながら。

 そんなふうにしてあつまった4人が作った冊子がこれです。4人の他にも灯光舎の高度な組版技術には大変お世話になりましたし、デザインや印刷、紙の手配などいろんな方の手によってできた一冊です。そのわりになんの役にも立たない本ですが、それなりにいろいろ詰まってます。よかったら。

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