雲煙模糊漫画集「居心地のわるい泡」出版記念展示

息子は3歳の冬、湯船を怖がり毎晩なきわめいていた。理由はわからない。水が怖いのか、蛇口の音が嫌なのか、理由を聞いても3歳児は答える言葉を待たない。あの冬はいったいなんだったのだろうか。わからないまま彼は大きくなり、今ではご機嫌に歌を歌いながら風呂に浸かっている。

京都で暮らす画家、平田基くんのマンガが一冊の本になった。タイトルは「居心地のわるい泡」。副題に雲煙模糊漫画集とある。ひとつひとつの作品の題材になるのは水や植物、時間、そして光と影。普段私たちの暮らしのすぐそばにあって、ほとんど意識しないものたち。贈り物に光り輝く月を受け取ってしまったらどうすればいいのか。枯れた草であるはずのパセリを鶏の腿肉に振りかけるだけで美味しそうに見えてしまうのはなぜなのか。まじめな画家が鉛筆で描く物語とテキストは、そのとき世界がそう見えたとしか言いようがない。

マンガにしては大袈裟な佇まいをしたこの本を手にしたとき、遠い世界の空想の物語には思えなかった。それは当たり前に目を向けると、日常がいかに曖昧で不安定なものかが見えてくるからかもしれない。製氷室からなくした時計が出てくる日も、急に湯船が怖くなる冬もある。私たちの暮らしははっきりと答えの出ることの方が少ないのだ。曖昧なまま今日もだらだらと続いていく。

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「これを窓に貼ってください」と出版社さりげなくの稲垣さんが持ってきた作品の一部は、この本のページをそのままランダムにプリントアウトしたものだった。選ばれたページはつながるわけでもなくバラバラで、なぜかラミネート加工が施され不気味につやつやとしていた。うんわかったと言いながら受けとったものの何もわかっておらず、どうしようもなく二日ほど放置された。なんとか展示を始めて数日たち、夕方そろばん塾から帰ってきた子どもたちが店先でガヤガヤとたむろする中を見慣れない男性がぬっと入ってきた。店内を見渡すこともなく「これください」と差し出されたのは「居心地のわるい泡」だった。なぜこれを? と聞くと「なんか展示が目に止まったので」とだけ言い残し代金を置いてそそくさと帰っていった。

本を買うのに理由はいらないし、本を売るやり方はまだわからないことばかりだ。

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雲煙模糊漫画集「居心地のわるい泡」平田基(さりげなく)出版記念展示
開催中-11月19日(土)
開風社 待賢ブックセンターの出窓にて