あいだの日記
電話を取ると、「和歌山のイハラです〜」と威勢のよい声が聞こえてきた。イハラさんはいつでも相変わらずすぎる。軽く近況報告などしたのちに「とりい君は熊本に知り合いはないの」と聞かれる。何人かの顔が浮かぶがどうやらイハラさんの言いたいことは別にありそうだった。地震のあった日から熊本の友人たちのことは気になっていた。大学の同級生は出張で県外にいて家に帰れていないらしかった。知り合いの古本屋はS N Sで無事を知った。なんとなく気になっているが連絡をとるわけでもなく多分無事だろうと思っているだけの人もいる。「うちも水害の時はいろんな人に助けてもらったからね」とイハラさんは言った。何かできることを探しているようだった。京都で、本屋が、できること。つぶやいてみるがつぶやいただけでそれ以上のことは何も起こらない。京都で、本屋が。
何年ぶりかに妻の実家にかえったら台風が直撃した。行きの飛行機は飛んだはいいが那覇空港に着陸してからゲートに着くまでの間に驚くほど揺れた。それでも飛行機を降りると到着ゲートの隣では出発便の準備が進んでいる。「この飛行機は鹿児島空港に着陸できなかった場合、羽田空港に行き先を変更します」と冷静な声でアナウンスが流れている。口調は冷静だが言ってることはむちゃくちゃだ。那覇から鹿児島に行こうと飛行機に乗って、羽田に運ばれちゃった人たちはその後どうするのだろうか。たどり着いたレンタカー屋さんのカウンターには誰もいなかった。スタッフすらいない。雨は降っていないが風は強い。高速にのると突然叩きつけるように雨が降り始める。急に止む。そして風。そのくりかえし。瞬間を切り取れば嵐だが、そうでもない時間の方が長い。道路にはいろんなものが落ちている。南の島の葉っぱはでかい。翌日には役所もスーパーもバスも全て動かなくなった。テレビの中では球児が太陽の下で野球をしているが、窓の外はいつまでたっても嵐。次の日になってもまだ暴風域に入ったままだった。どこそこのスーパーはまだ停電しているとか、ニュースにもならないような話がちびちびと聞こえてくる。恐る恐る外に出ると道端のバナナの木が倒れていた。道端にバナナが生えているだけでも情報が過多気味なのだが、それが倒れていてしかも花が咲いているのだ。手に負えない。電気工事のトラックと何台もすれ違う。さいわい身内にも建物にも被害というほどの何かがあったわけではない。二日間引きこもって帰ってきた、というだけの夏休み。息子の自由研究は「台風の研究」に決まった。
募金のお願いと件名のついたメールがくる。ご協力は任意です、と強調されている。任意のご協力をお願いする前に黙って自分が動いたらどうかと思ってしまうのだが、世の中を動かす人というのはこういう人なのかもしれない。他の場所に貼り出された紙には、いただいた善意は全額被災地に届けます、とかなんとか書いてある。全額、が気になってしまう。善意を届けることは無償でやらなければいけないことではない。あいだに入ることも立派な仕事だし、仕事には報酬が伴うものだ。そんなことすら忘れてしまうのは、「何円以上購入すると送料無料」とかいう世界に慣れ過ぎてしまっているからではないか。たとえ送料が無料になったとしても、運ぶ人も送る手間もなくなるわけではない。あいだに誰かが入ることで物事が動くのであればその人にはきちんとお礼をしたほうがいい。
自分はどうかと言われると、あいだに入ることはよくあるし嫌いではないけれど、そこでお金を受け取ることは苦手だ。仕事にはならない。じゃあなにをやってるのかと聞かれるととても困る。ひととひとのあいだでただ遊んでいるだけなのかもしれない。
じつは四年生の夏休みの宿題をまだ出していない。もう三十年近くたってしまった。プリントはもう一度もらえるだろうか。きちんと宿題も自由研究も終わらせて二学期が始まった息子が学校から帰ってきた。近所の一年生の女の子が二人くっついている。話が合うのかどうか知らないがなにやら楽しそうだ。隙間なく三人で座ってなにかのゲームをしている。よくわからないし暑苦しそうだが大人があいだに入る余地はない。遠くから眺めておくことにする。
※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。

