まだ 子どもと歩く日記

 かじさんから電話がかかってくる。ふにゃっとした声。「あのメールのやつなー」って今メールきたみたいに言うけど僕が送ったのは三日前だ。一万八千円払う、と言っているのに一万五千円しか受け取らないという。なんだそれは。しかたないのでその三千円でうちにあるレコードを買ってもらうことにした。ホコリかぶってるし誰なのかもよくわからない。唯一わかる一枚にはにこにこぷんのイラストがたのしげに描いてある。どう考えても三千円はもらいすぎな気がする。絶対にもらいすぎだ。電話を切ってからそんなことを考えていたら二日後、「最近電話で話した時に、結局どうするってことになったっけ?」とメールが来る。あー、その感じめっちゃわかるわー。

 近くの喫茶店に配達にいく。自転車をこぎ出したところでマスクをしていないことに気づいた。そのままいくかしばらく迷う。電柱二本分くらいすすんでからやっぱりとりに帰ることにした。店に入った瞬間、クッキーの缶めがけて走り出す二歳児。やめとけー、とかいうてる間にもう四枚目を食べている。オレだけ時間が止まってたんか。

 一乗寺で出店。リハビリ。朝、叡山電車の線路沿いを自転車で走ると子どもが荷台で「カンカンカンカン」とさわぎだした。電車が次々くる。よかったねえ。恵文社につくとゆのうえさんが庭に水をじゃあじゃあまいていた。どこからか黄色いボールをみつけてくる。不安そうにしてた顔がちょっとゆるんだ。荷物をおろし箱を並べていく。絵本を読めとせがむ子。ちょっといまは無理やわー。思えばこの時点で黄色信号だった。表でシャッターを開ける音。ガラガラガラ!ぎゃー!泣き出してしまった。手を止めるしかない。ごめんちょっと余裕なかったなー。そこ座ってクッキー食べよか。一枚ちょうだい。空が青い。

朝ちゃんと遊ぶとちゃんと昼寝する。昼寝しているスキに通販の梱包を進める。四時までにやらなあかんねん。ヤマトの人が来るからね。熊本、北海道、松江。日本広いなあ。この封筒が明日にはそれぞれの家のポストに入っているらしい。日本狭いなあ。メールやら電話でやりとりはしているからどんな人か想像はできる。でも顔は分からない。通販のお客さんはどんなにがんばっても通販のお客さんやなあと思う。店のように、本買いに来た大工さんに家の窓を直してもらうことになってたり、近所のおばあちゃんが世間話のついでに本を注文したり、犬の散歩のついでにお菓子だけ買って帰ったり、子どもの面倒見てくれたりということはまずない。通販のお客さんはみんな、なにか目的があって来てくれている。もちろんなんも買わずに見てるだけの人もいるだろう。いやほとんどの人はそうか。その人たちはこちらからは全く見えない。店では、なにも買わない人もお客さんだ。なぜ買わなかったのかがもしわかったら仕入れはとても楽になる。ほとんどの場合わからんけど。ていうかこの店は財布持ってこない人が多すぎる気がする。あ、お金取りに帰るわ〜とか。ごちゃごちゃ考えながらうつむいてせっせと封筒にガムテープを貼ったりするのはとてもたのしい。昼寝から覚めた子どもが走ってくる。起きてすぐ走れるんは何才までなんだろう。

 店に置いてある手指の消毒液を「しゅっしゅ」と呼ぶようになった。たまに自分の指に吹き掛けようとする。二歳児の手のひらには多すぎる量の消毒液。びちょびちょやんか。ボトルには小さな紙きれが貼ってある。四月の頭に「ご自由にどうぞ」だった張り紙は五月の連休明けには「ご協力ください」になっていた。そのくらいの意識の変化。それ以上のことを言おうとは思わない。なにをどう言ったらいいのかわからない。

 夕方は近所の子に遊んでもらうのが日課になった。外にいるといろんな人に声をかけられる。向かいのおばあちゃんちの裏庭には亀がいるらしい。「見にくる?」と言われててーと庭に入っていく。はやい。数分後、おじいちゃんの悲鳴のような声が聞こえてきた。抱っこしてもらってにこにことうれしそう。「池のきんぎょに石を投げてねえ」と話すおじいちゃんの眉が下がっている。悪いやつやなーコイツ。

   

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものをちょっと変えたりしたものです