ジュンク堂のこと

 ジュンク堂のことを書こうと思って2週間くらいウジウジしている。四条通りのジュンク堂。やけに細長いジュンク堂。エスカレーターの下にスタッフの人がいるジュンク堂。ジュンク堂京都店。

 2月末で閉店するというニュースを目にして初めて知ったのは、開店が1988年だったということ。今年32歳。同い年だった。

 一年前の同じ時期、かつて自分の働いていた本屋が閉店した。幸いにも閉店の一部を手伝わせてもらうことができ、最後を見届けた。そのとき、自分のなかで何かが死んだ気がする。店は閉まるもの。そんな諦めが、いま、自分の中にある。この一年、本屋がなくなるというニュースに心を動かされることがほとんどなくなっていた。どこかで「仕方ない」と思っていた。

 でもジュンク堂はちょっと違った。

 小学生くらいのとき「おっきい本屋さん」といえば河原町のジュンク堂か京都駅のアバンティだった。親に連れられて映画を観た帰りによるとこ。絵本売り場は一番上で、エスカレーターにずっと乗っていく。目当ての本があるよろこびよりも、どこまでいっても、どのフロアにも、ずらっと本が並んでいる景色に興奮した。

 大学生になって、卒論のテーマを見つけたのもあのジュンク堂だった。当時、高知の大学に通っていた僕が、あのときなぜ京都のジュンク堂にいたのか、いまとなってはもうわからない。四回生の春か夏、なにも考えられず、でも気持ちだけが焦っていた頃。どんどん先にすすむ同級生たち。「なにかみつかるだろう」と仏教とか哲学の棚をさまよっていた。なにを探すでもないけれど、行けばなにか見つかる店だった。そのときに買った『ヨーロッパの仏陀』はいまも実家のどっかにある。内容はほとんどおぼえてない。なんかわからんけどいったらなんかある店。おすすめの本がグイグイ主張してくるわけでもない。とにかくいっぱいある。その安心感。

 社会人になって、本屋に勤めはじめるとやたらと「毎週ジュンク堂にいってこい」と上司に言われた。面になってる本見てこい。時間なかったら一階の新刊台だけ見るんでもいい。あそこいったら旬の本がある。見逃してた新刊がある。何が積んであるか、いま何が売れてるか見てこい。前行ったときと何が変わってるか、何が変わってないか見てこい。パソコンの画面で発注してるだけではわからへんことがぜったいある。いったらなんか見つかる。ほんで、ひととおり見せてもらったら文庫本でいいから1冊くらい買いなさい。それが宿題だった。ほかの店ではなく、ジュンク堂。なんでジュンク堂?とはおもわなかった。そうですよね。ジュンク堂いったら勉強なりますもんね。

 自分で本屋をはじめてしばらくたった頃、ジュンク堂の店長がお店にきてくれた。よれっとしたジャージみたいなん着て、奥さんもいっしょに。店の前で古本売りませんかと店長は言った。「あんまり古本屋さんしらんし直接スカウトするんはじめてや」と言った。それから3ヶ月間はジュンク堂に出す本のことばっかり考えた。ちょうど自分の店の売り上げが落ち着いてきた時期だった。開店直後、知り合いがいっぱい来てくれる時期はとっくに終わり、これでやっていけるんやろうかと毎日の売り上げをみて心細くなっていた。ジュンク堂にワゴンを出した初日の売り上げスリップの束にはびっくりした。本ってこんな売れるんや。毎日、誰もこない店の帳場で前の日の売り上げを確認する。なんとか暮らしていけるかもしれない、と思った。自分が本を売る場所はここだけじゃない。わざわざ来てもらわなくてもこっちから本が売れるところに出かけていったらいい。本を買う人はたくさんいる。あの時期、ジュンク堂のワゴンがなかったら潰れていたかもしれない。こころが。

 こうやって閉店がきまった店のことをいまさらああだこうだ言うのは意味がないことなのかもしれない。閉店が決まってから名残惜しんで本を買いにいくことには何の意味もないのかもしれない。でも、もしそうであれば、意味なんてなくていい。

 本はお店のために買うのではない。自分のために買う。思い出は自分のためにある。いつまでもウジウジとジュンク堂のない京都の街のことを考えていようと思う。

 と、そんなことを言っていたら「閉店まで最後の2週間、ちょっとだけ古本出す?」とお誘いがあった。どんな景色が見れるんだろうか、どんな人が来るんだろうか。

 ジュンク堂京都店古本市2月11日(火)〜29日(土)1階ワゴンにて。

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです