仕入れの旅

 三月十九日。お店の開店を十日後に控え、店主は沖縄にいた。なぜこの時期に。やることは他にたくさんあるだろう。本棚は依然として空っぽだし、棚のレイアウトもきちんと決まっていない。本の発注すらおわってない。なぜ沖縄に。疑問は尽きなかった。だけど沖縄でもやることがある、そう言い聞かせて飛行機に乗ったのだった。

 那覇に行く時は必ず立ち寄る古本屋がある。若狭のちはや書房。店主の櫻井さんは仙台から移住し本屋を丸ごと譲ってもらったという。高い天井の店内に絵本、水木しげるの本、沖縄の暮らしや歴史の本がぎっしりと詰まっている。なんだか居心地がいい。今回も訪問前に電話をしてみると「ちょうどその時期に古本屋仲間が集まって小さな市をやるわけ。よかったら参加したらいいよ。本の仕入れもできるし」と声をかけてもらった。

 朝9時半。浦添市の古本屋、小雨堂。その時間にはみんな準備にあつまってるはずね〜と聞いていたのだが店の前には男性がひとり立っているだけだった。この人が店主だろうか。名前を名乗るとああ、とわかったようなわからないような返事をする。不安。言われるがままに裏の駐車場にまわると、ちはや書房のヒサエさんが現れた。「ようこそ〜」とにぎやかに手を振っている。よくわからないままダンボールを運んだりする。そのまま特に誰も来ない時間が流れる。小雨堂ははじめて?と聞かれ、はいというとお店見ておいでーと営業していない店内に上がらせてくれた。でも耳は外を向いている。外はヒサエさんの声。目は本棚。絵本が目につく。月刊こどものともがまとまっている。-年-月号以前は-円、-年-月号は-円とざっくり分けられた値札。覚えようとするがなんだかそわそわして値段が目に入ってこない。なんとなく沖縄の本を探している。本を探す、というよりは相場が知りたいという気持ち。棚から一冊抜いてみる。500円、とつぶやきながら最後のページをめくってみる。700円。へえ。思ったよりも高い本が多い。でたらめに5、6冊やってみる。店の外では数人の声がするようになっていた。天久さんらしき声もする。本棚を離れる。

 店の前にダンボールが並べられてゆく。各自がもってきたダンボール。2箱の人もいれば10箱近く持ってくる人もいる。なんとなくヒサエさんのとなりで待機。こっそりルール解説をしてくれた。ガイモノ、トメ、専門用語。入札の封筒、値段の書き方。やり方はシンプル。でもそこに何を書くのが正解なのかがわからない。つぎつぎにダンボールがあけられていく。沖縄の本、小説、ビジネス書、全集。それぞれに封筒が添えられている。天久さんかとおもった声の主はやっぱり天久さんだった。BOOKSじのんの番頭さん。みんなの兄貴。サクライさんの言葉を頭の中で反芻してみる。輪の中心でひときわ動き回っている。目が鋭い。那覇のジュンク堂ではじめて会った日も目は鋭かった。あのときはすぐに酔っ払ってたけど。突然「ようこそ、なにも聞いていないよ」と大きな声で話しかけられた。でもなんとなくは話が通っていそうな雰囲気。突然すいません、とぼそぼそ言う。「後でみんなに紹介しようね。演説してください」とか言う。強引なのにやさしい口調。

 ウララの宇田さんがすっとやってきた。だいぶ遅れているはずなのだが特に何もなかったかのように自分のダンボールを運んでくる。その姿がちょっとおもしろい。気づいていないのかな、と不安になったころに、おはようございます、と声をかけられた。よろしくおねがいします、と頭をさげる。

 コーラとかコーヒーとか飲んでね!とヒサエさんが元気良くすすめてくれる。店の前の歩道がいつのまにか市会の会場になっていた。十人ほどが値段をメモして入札をはじめている。あれ、もうはじまっているのか。端から順にもう一度覗いてみる。赤い背表紙の沖縄文庫が気になる。10冊まとめて1000円から。先週京都で5冊くらい売ってたな。500円から600円だった。10冊で5、6000円か。「欲しい本は自分の売りたい値段の半額くらいで買い取るといいよ」と善行堂の山本さんが言っていたのを思い出す。なら2500円か。トメ1000円が気になる。100円単位で入札するんだろうか。そしたら相場は1200円くらいなのか。2500円なんて書いたら高すぎるのか。わからない。いったん離れよう。そうおもっていたら天久さんが声を上げた。「今日はゲストが来てます。はい、自己紹介」

 いつも以上にごにょごにょした自己紹介。というかほぼ誘導されている。「お店をやると聞いていますが」「はい…」「古本?」「いや新刊もおきたくて」「京都のどこで?」「二条城とかの近くです」「ふーん。ということなので、みなさんよろしく」終わった瞬間、沖縄の本も置きたくて、と言うべきだったと、もう後悔している。

 「このおせんべい美味しいねえ!みんな食べた?」とはしゃいでいたヒサエさんが「どう?気になる本ある?」と声をかけてくれた。「沖縄文庫は人気だからねえ」とか話していると男性が札を入れた。ヒサエさんは躊躇なく「いくらくらいなの?」と聞く。そんなのありなんだ、と驚くが男性は「デパートに出したら定価でも売れますよ」と微妙にはぐらかしている。定価だと一冊900円。なら入札は4500円?さらにわからなくなってきた。「そっか〜」とヒサエさんは納得している。うーむ。

 考えるのをやめてぼんやりしているとさっきの男性が話しかけてきた。「小原といいます」「僕も京都にいたんですよ、家のお墓があって」「遠慮せずに入札、してくださいね」一瞬の何気ない会話。かじかんでいた指先に血が通ったような感覚。すすすと4枚ほどメモに値段を書き込みそれぞれの封筒に入れる。急に肩が軽くなる。

 歩道に車が止まる。小雨堂の店主が話しかけられている。「何してるの?」「業者のセリなんですよ」「レコードとか売れない?」「それはむづかしいかなあ」

 宇田さんと知らない古本屋のおじさんが話している。「これ、同じ本2冊のセットなの?」「そうですね」宇田さんの表情は硬い。なにかの話がまとまっておじさんが本を持って行った。

 一番年配のおじいさんは座るところを探している。何人かがその辺から板やレンガを拾ってきて即席のベンチが出来上がった。

 「あと5分で締め切ります!」天久さんの声が響く。いつやってきたのかわからない渡慶次さんがノートパソコンを開いてスタンバイしている。ヒサエさんが「そのおせんべいの袋つかおっか!」と紙袋を開く。「開札します!」

 「はい、じのん300円—」「ウララ900円—」開札がはじまった。1000円以下の落札は、ない。自分が書いた値段を思い出してドキドキしてきた。やっぱり高すぎたか。素人が、と思われたらどうしよう。素人なんだけど。入札した箱がやってきた。「お、いっぱいはいってるね。うーん…1000円…1180円…あ、1200円、鳥居さん。はい、落札」どさっと十数冊の本の束が手渡された。ほーとため息がきこえる。「いい値段だったね」と渡慶次さんがつぶやいた。知らない古本屋のおじさんが「ここに置きな」と場所を空けてくれる。ありがとうございます、とちょっと大きな声が出た。沖縄文庫も落札。小原さんは「版元が倒産して在庫を引き取ったやつだから、ほぼ新品ですよ」と教えてくれる。ざざざと片付けがはじまった。落札した30冊ほどの本を眺めていたらもう誰もいなくなっていた。お昼ご飯行きます?と声をかけられる。あ、ぜひ、とついていくことにする。

 食堂、と書かれた看板をくぐるとそこは漫画喫茶だった。漫画喫茶を奥にすすむと座敷になっていて、やはりそこは食堂としかいえない空間だった。さっきのメンバーが大きすぎる机を囲んでいる。渡慶次さんはパソコンをたたいている。天久さんがむづかしい顔をしてノートを開いている。

 「お店の場所、どこだっけ?」「いつオープン?」「お店開けてない平日は何してるの?」「年はいくつなの?」「お子さんいくつ?」「奥さんとはどこで出会ったの?」いろんな質問がいろんな方向からやってくる。答えは座敷を漂って消えていく。「ここのご飯多いね!」とヒサエさんが隣でうれしそう。ご飯が終わるとお金の精算。「6月と12月にもっと大きな市をやりますから、また来てください」と天久さんが言う。「はい」とまた大きな声が出た。

 車の後部座席に山盛りになった本を眺める。遠く京都まで連れて行かれる本たち。帰ったら一冊一冊磨いてやろう。