数を数えている日記

「本は儲からへんのや」とKさんが言った。五十年本屋をやってきてそのほとんどを経営者として関わっていた人がいうのだからもう何もいうことはない。本屋は儲からないのだろう。結論は出ている。終わり。それでも毎日レジを閉める時にはしつこく小さな数字を数えている。

小さい店をやっているということは、儲からなくてもいいということではない。儲けたくないわけでもない。お金は必要。なぜなら私は生きているので。一日の売り上げをメモするときは感情を挟まないようにしている。「想定できる一番下のラインを考えて、それでもやっていけるかどうか」と往来堂書店のOさんがぼそっと教えてくれたのはもう四年前だろうか。今はその一番下のラインよりもさらに下にいる。一桁か二桁くらい下に。

 「きゅうばんさんばんばんばす」と三歳児がつぶやいている。その横を市バスの九三系統が通り過ぎていく。向こうから二〇四系統がやってきた。あれは?と聞くと「にばんまるばんよんばんばんばす!」と大きな声が返ってきた。まあ当たってるか。車道側歩いたらあかんよ。

 数字はどう読んだって数字だ。あんまり意味はない。「あそこの保育園も休園になってるんやって」という会話も、「京都で百の保育園幼稚園が閉園しています」というニュースになると突然色を失ってしまうのはなぜなんだ。「今日は二千人の陽性者が発表されました」よりも「あそこのあの人…」の方がインパクトがある。

 大きな数字はよくわからない。刷り部数十万部突破!というには一冊の本を売らなければ始まらない。一から十万までのどこに関わりたいかと聞かれたら二か三くらいのところにいたい。そんなん聞かれることないけどね。

 Sさんが大きなため息をついている。どしたんと聞くと「元気な女子たち…」と呟いてどこかに歩き去った。大人数できゃっきゃと盛り上れるのはうらやましいね。でも会話は三人くらいが限界なんじゃないかと思う。四人を超えると難しい。四人以上の飲み会ではスイッチを切ってしまう。自分の中のなにかのスイッチ。

 久しぶりにイオンの中の大きい本屋に行く。絵本売り場の三分の一くらいはぬいぐるみや靴下が並んでいた。雑貨や文具は儲けが大きいという。コーヒーを出せば利益率はものすごいらしい。ギャラリーや貸し棚があると経営が楽になるんやって、小西さんが言ってた。みんないろんなことをやっている。それでも本屋だからえらい。飲食の方が利幅が大きいからといって急に定食屋に業態を変えた本屋をぼくは知らない。時期が来ると選挙事務所になる本屋なら知っている。「昔パチプロやってたんすよ」と話す文芸書担当の書店員もひとり知っている。あと不動産で儲けようとしている取次のことも知っている。本屋はどうにかして本屋であり続けようとしている、ように見える。どれだけ薄利でも本を置く。それって誰のためなんだろう。みんな誰のために店やってんの?

昔パチプロやってた書店員Iさんは、パチンコ屋の開店を待つ時間に本を読んでいたらしい。スマホなどない時代、時間があれば本だった。結果、今は本屋に勤めている。同僚に「あの人の脳内半分アルコールに浸ってる」とか言われながら東京駅の目の前でせっせと働いていた。休日には降りたことのない駅に降りて、駅前のコンビニでチューハイを買い、ちびちびと飲みながら歩いていくそうだ。缶が空になったらまたコンビニを探し、酔った頭でひたすら歩く。「気づいたら完全に迷子になっててやばいっす」と笑いながら話していた。なにその話、こわ、と思った。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです。