帆、あげっぱなし日記

店の入り口のところで入江さんがなにか言いたそうに立っている。眺めていると「この店にはロックが足りないんですよねえ」と言い出した。とりあえずふんふんと聞いていると「それでね、ロックとロックンロールはカニとカニカマぐらい違うの。詳しいことは小西さんに聞いたらいいと思うなあ。じゃ、また来ます」と言いのこして帰って行った。カニとカニカマ。冬に鍋に入っているか、夏に冷やし中華にのっているかの違いくらいしか思い浮かばない。ロックは冬でロックンロールは夏ってことか。なるほど、と思いかけるがやっぱりわからん。小西さんはわかるんだろうか。なんじゃそら、と言って笑う小西さんは容易に想像できる。ああそれはね、と語り始める小西さんもまあわかる。入江さんと小西さんが話しているところは想像がつかない。

「中動態」についての話を聞く。というかいろんな話を聞いた後に「中動態」という言葉が妙に耳に残った。能動でもなく受動でもなく、中動。ヨットはそれだけでは動かない、という話。どんなに腕のいい乗組員がピカピカの船にマストをたてても、海にでて風を受けなければ前には進まない。風がなければ漂うことしかできないし、ただ風を受けているだけではどんどん風下に押し流されるだけ。帆と舵をコントロールして行きたい方へ船を操る。どちらが欠けてもだめ。人間が動かしているとも言えるし、風に動かされているとも言える。能動でもあって受動でもあるのかもしれない。どっちでもいいのだが帆をあげないと始まらないな、と思う。風が吹き始めてから慌てて帆を上げていてはもう遅い。遅くってもいいんだけど慌てちゃうのはまずいよね。知らんけど。風は常に動いている。帆を上げて待つこと。中道であること、あり続けること。でも、帆を上げている人のところに風が吹く、とは限らない。

春の風は強い。道路に置かれたプラスチックゴミの袋がどんどん飛ばされて転がっていく。なぜなら今日は金曜日だから。マンションの前のゴミ袋も、ライブハウスの前のゴミ袋も飛んでいく。ゴミ収集車はまだこない。歓声を挙げながらゴミ袋を追いかける子どもたちと、ため息まじりの大人たち。

本棚が船で本が帆だったら、ハタキはなんだ。舵はどこにある。

またもや遠くから「営業自粛」という言葉が聞こえてくる。店を開けていなければ人はこない。人は風だ、と思う。風を受ける準備がなければ風を受けることはできない。人はどうしたら受け止められるのだろうか。店の前をそよそよと流れていく人を見ている。ザルの目をいとも簡単にくぐり抜けていく風。この店にはスキマが多すぎる。「あ、呪術廻戦ファンブック置いてあるでー」と中学生が立ち止まり、指さして声をあげる。「でも今お金ないわ」。風は受け止めるものではなく受け流すものかもしれないな、と思う。全部受け止めちゃうとひっくり返っちゃうからね。

どこかからピンポーンという音が聞こえてくる。聞き流していたが、気付いたら一日中なっている。十分おきくらいにピンポーン。はじめは前に並べている雑誌の付録が箱の中で鳴り出したのかと思った。でもドラえもんの箱を振ってみてもなんの反応もない。隣の家の呼び出しのチャイムが壊れたのか。それもどうも違う。雨が弱まって外に出てみると、ガレージの前を人が通るたびにセンサーが反応して音が鳴っていた。ついでにライトも光っている。「今行って帰ってきただけで四回もなったのよ」「道の反対側通っても反応してるで」「故障でこんなことになるか?」といろんな人が勝手に検証を始めた。家主はまだ帰ってこない。車が通っても、自転車が通ってもピンポーン。幼稚園帰りの子どもが何度も家の前をうろうろして何回も音を鳴らし親に「やめなさい」と怒られている。人が通るたびに音がなるので、意外と人が歩いていることがわかる。わかったところで何もおこらない。ピンポーンと間抜けな音だけが響いている。

  

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです

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