わたしはいかにして村上春樹の背中をまたいだ男と名のるようになったのか

「レコードプレーヤーはいりませんか?」と近所のMさんが言い出した。家の改装ででた大量の本を処分したいと、もう9月の下旬だというのに汗をぼたぼたたらしながら5箱の段ボールをふたりで運び終えたところだった。「レコードプレーヤー…」おもわず同じ言葉を繰り返してしまう。今いる店の二階にも数ヶ月前にもらったレコードプレーヤーが埃をかぶって眠っている。店の二階、といってもそこは倉庫でもなんでもなく居住空間で、ふすま一枚隔てた隣の部屋には布団が敷いてあり家族が寝ているし、押入れにはまもなく出番を控える冬服や毛布がしまってある。その押入れを塞ぐように段ボールが積み上げられ、とりあえず置かれた二台の本棚には本がパンパンに詰まっている。さらにさきほどMさん宅から運び出された大判の画集や図録がここに加わる。これ以上物を置いたら床が抜ける。

 うーむ、とそんなことを考えていると「とりあえずもってきますわ」とMさんが行ってしまった。二台のレコードプレーヤー。「アンプを買うべきです。そしてレコードの世界にいらっしゃい」とたまにいく喫茶店HのマスターであるYさんがいっていたのを思い出す。京都市役所からすこし北に上がった路地裏でひっそりとがんこに自家焙煎の珈琲を出すYさんの店にはレコードが壁面いっぱいにならんでいて、レコードのことはもちろん音楽がそもそもよくわかっていないぼくはいつも呆然とその壁をながめ、「あ、ゴンチチってなんか聞いたことある人やな」とか思っているだけで、アンプの相場や安くで手に入る店をいろいろと教えてくれるYさんの言葉はほぼ頭にはいっておらず、結局アンプを買おうなどどは微塵も思っていないのだった。

 Yさんの店からすこし南に下がるとJという中古レコードショップがある。ここに出入りするようになったのは古本が一緒にならんでいるからで、この店に来るとやたらと漫画ばかり買ってしまう。店主のKさんはまあなんでも受け入れてくれる人で迷惑だろうなと思うこともいったん相談してみることにしている。以前、古本とともに昭和歌謡のCDを200枚ほど引き受けてしまったことがあり、「まああずかりますよ」と返事をしつつ内心どないしよと戸惑っていたのだが、その時もすかさずKさんに相談したのだった。Kさんは200枚のCDを驚くべき速さで仕分け、5枚だけ抜き取った。そして「今日まだ時間あるん?」と挑発的にいった。その言葉の意図するところがわからず妙に身構えてしまったぼくにKさんは「三条大橋をわたったところにブックオフがある」と言い放ったのだった。結局200枚の昭和歌謡は10000円という驚きの価格で引き取られていった。

 Kさんにメールをしてみる。「レコードプレーヤーもらったんですが誰か欲しい人いませんか。」あまり時間をおかずに返事がきた。「あ、おる。」

 二台ある、とは一切伝えていないし、もらったばかりのMさんのものは動くかどうかすらわからない。しかもなぜが浅川マキのレコードが裸でのったままだ。とりあえず二台のレコードプレーヤーを自転車のカゴに入れて出かけることにする。

 JにつくとKさんはいなかった。せまいカウンターの中には店番のKさんがいた。事情を話し受け取ってもらう。いくらで引き取るとか聞いてますか?と店番のKさんは聞くがまあいいんです、と返事になっているようななっていないようなことをもごもごと言う。店内には数人の男性がいてレコードを眺めていた。そのまま帰るのも気がひけるので本棚に目を移す。この店はなぜか海外文学が充実していたり、出版されて数ヶ月以内の本が定価の半額くらいで並んでいる。ぼーっと眺めているとレコードをみていた男性の一人がすっと横に立った。身長はぼくよりも低く短髪のその男が妙に気になったのは前日に自分の店の本棚でみた本の作者によく似ていたからで、毎年ノーベル文学賞の時期になるといろんなところでその人の顔写真を目にすることがあるからなのだった。レコード屋が一堂に会した祭りに現れたのをみた、とか、領収書を「ムラカミで」といって取っていく、とか嘘か本当かわからない話が京都のレコード屋の間で流れているのだ、とYさんはいう。

といっても本物かもわからないししらないおじさんに他人の店でいきなり声をかけるのもなんだかなとおもい男性が店を出るのを見送ることにする。見送ってからああやっぱり声をかけるべきだったかな、と後悔している。「じゃまた」と店番のKさんに声をかけ、Kさんは気づいていたんだろうかと思いながら外にでると店の前の均一台に例の男性がしゃがみこんでいた。熱心に100円のCDを抜き取っている。店の前は通路が狭く、大人ふたりがすれ違えるぎりぎりの幅で、そこにしゃがみこまれるともうその背中をまたぐしかなくなってしまう。一瞬躊躇するも「すいません」とちいさな声をだし、まだ一心にCDを物色する男をまたいで家に帰ったのだった。

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです

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