古本屋の古をとれ

 手元に数ヶ月前に書いたメモがある。「古本屋の古をとれ。」なんだこれは、としばらく考えて思い出した。那覇の居酒屋で、上機嫌に酔った古本屋のオヤジが熱弁していた。隣には東京で古本屋をしてる兄ちゃん。こっちもかなり酔っていてオヤジの話にうまいこと合いの手を入れ続けている。どんどん機嫌が良くなるオヤジ。話は最近の不動産屋事情からネットで古本を売る話に瞬時に変わり、かと思うと沖縄の古本業界の話、オヤジの兄貴の話へとまったく脈絡がない。とつぜん、東京の兄ちゃんがいった。「つまり、古本屋の古をとれってことすよね!おれその話メモります!ここに!書きます!」そういって手元の紙にペンを走らせた。それをみて自分も意味のわからないままにメモを書いたのだった。ぼくも相当酔っていたのだと思う。

 「古本屋」から「古」をとったらどうなるのか。「本屋」になる。ただそれだけの話。でも、酔ったオヤジがふたりの酔った若者に言いたかったのは、それだけなんだろうか。

 いま、待賢ブックセンターには新刊と古本が混在している。ごく稀に古書と呼んでもいいようなものもあるし、バーゲンブック(新品だが値引き販売されているもの)もある。新刊書店と呼ぶには雑誌もない、コミックも少ない、古本が多すぎる。古本屋と呼ぶには平台に積まれた新刊があり、たまにミニフェアやパネル展のようなものもやっている。

 実際、「この本はいくらですか?」と聞かれることが多い。古本と新刊書籍が混在していてスリップが入っていたり価格が書いてあったり、均一の箱にまとめてつっこんであったり。ややこしくてかなわない。それは古本、そっちは定価。それは新刊だけど割引出来るやつ。そのミニカーは気に入ったんならあげるし持って帰り。そのピーナツは食べ始めると止まらんから気をつけて。と、いろんなことを言う。いったいここは何屋なんだろうか。

 だから、本屋でいいんじゃないか。

 真っ先に待賢ブックセンターを取り上げてくれたブログがある。とくに何の許可も取られなかったがいつのまにか記事になっていた。そこには「京都の西陣に新しい古書店が新店オープンしています。 京町家を使った「開風社 待賢ブックセンター」さんというお店で、丸太町通から大宮通を北へ上がったところにある古本屋さんです。」とある。目にした直後、ああ古本屋か…と思った。半分くらいは新刊なんだよ。ちゃんと話を聞いて欲しかったな。

 だが古本屋ではない、と言い切れる気もしない。新刊書店でもない。駄菓子屋みたいですねと言われるとちょっとうれしい。

 だから、本屋でいいんじゃないか。

 雑誌の配達をはじめた。といっても近所にある、以前から知り合いの喫茶店一軒だけ。たまたま喫茶店で珈琲をのんでいると隣の席のお客さんが「週刊誌とかあったらええなあ」といいだした。「そうですねえ」と答える店主。帰り際、「配達しましょか?」と聞いてみた。

 月刊誌2つと週刊誌ひとつ。店に配本はない。毎回発売日の前日に問屋に注文し、翌日の昼過ぎに届く。木曜日発売の週刊誌が届けられるのは翌日の午後だ。あまりにも遅い。とても商売とはいえない。逆に迷惑なんじゃないかと思うこともある。それでも喫茶店の店主は「町の本屋ですね」といってくれる。

 古でもなく新でもなく、町の。

 結局、なに本屋でもいいのかもしれない。そこに来た人が古本を見つけたらそこは古本屋になる。新刊が目についたら新刊書店だし、駄菓子ばかり買っていく人にとっては駄菓子屋だ。ここは本屋です、という説明をいくらしたところで、いやここはたんなる本のある場所です、という人もいるかもしれない。いてくれたらいいと思う。とりあえずしばらくは本屋と名乗ってみよう。

※この妙な文章は定有堂書店さんのミニコミ「音信不通」に掲載していただいたものです